「悟り」を考えた

wataru-w2008-05-16

 自分は煩悩の塊のようなものなので、「悟る」ことは無いと思う(苦笑)が、テーラワーダなら仏門に入ってもいいかなと、思っています。私の実家は真言宗豊山派らしいのですが、初期仏教の方が好きですね。というよりもお釈迦様ってすごいと思うんですよ。奇跡を起こしたなんていうのは信じませんし、女性を若干低く見ていたようなところがあるようですけど。。。初期仏教は装飾が少ないお釈迦様の教えを伝えているということですけど。。。というのは、また別の機会に書きます。
 で、本題の「悟り」ですが、執着しないことなんでしょうね。あっ、そうそう、「禅」もそうですが、言葉で伝えることではないそうなので、流して読んでくださいね。はい、私の思う、悟りとは、過ぎ去った変えることは出来ない「過去」に固執しない。起きてもいない「未来」に起きることを心配しすぎない。「現在」をより良く生きる。と言うことじゃないかと思っています。なんか、どこかで聞いたことありませんか?『失敗から学ぶ、オポチュニストになる、今を精一杯生きる』というのは、自己啓発書などでよく出てくることですね?煩悩にとらわれると、誰も幸せになれません。悟らなければならないといっているのではありません。少しでも幸せになるために、煩悩を減らす努力をしてみるのもどうでしょうか?
 ところで、「悟った(大悟した)人」として有名な、あ、いや、一休さんで有名な一休宗純は男色で女犯もして、遊郭にいたらしいですよ。。。すごい人ですね。。。